最期の思い
人生の最期を迎え、自らの一生を振り返る時に、究極にはどちらか一方の感慨に到達することでしょう。
「俺は世の中の頂点まで登りつめた」
「わたしは欲しいものは全て手に入れた」
俗に言うところの幸福であったと感じる人。
反対に、
「なんで俺はこうなったのだろう」
「この世の地獄を見るような一生だった」
不幸であったと感じる人。
前者の“幸”と、後者の“不幸”。
誰もが 最期には「幸福であった」と思える人生を歩みたいと願うものです。
ですが現実的に考えれば、同じような環境、同じような経験をしたとしても、皆一様にそのような想いに達するかどうかは疑問です。
なぜなら、幸福の基準は人それぞれだからです。
はたから見れば十分恵まれていたのに、 まだ足りないという想いを残して最期を迎える人もいるでしょうし、 苦労ばかりしていたように見えても、本人は良い人生だったと満足していることもあるでしょう。
人生の結果をどう感じるか、その答えの二極化は普遍の真理ではないでしょうか。
樹門流占術では、幸・不幸の判断基準を次のように定めています。
『幸福』とは、まず“健康”であること。
安定した生活を営む“経済性”があること。
“愛情”つまりは安らげる家庭があり、子孫がいること。
“健康・経済・愛情”、この3つがバランスよく揃い、継続してこそ幸福であるとしています。
人生の最期を迎えた時に、本人が満足するに留まらず、 悔やむことなく「安堵の最期を迎えることのできる人生が幸福である」とも言えるでしょう。
興亡の仕組み
さて、人は誰とも接することなく生きていくことは不可能です。
当然ながら祖父母や親がいて、他にも兄弟・姉妹、子、孫といった家族。
そして友人や同僚。一生涯の間、その人を取り巻く人数を数えたらキリがありません。
ですが誰一人として同じ人生を歩む者はなく、人生の結末も違います。
他人である友人や同僚はともかく、同じ親から生まれ、 同じ時代を生きた兄弟・姉妹でさえ人生は異なります。
この違いは暗号のように名前に刻まれています。
幸・不幸の直接的な原因は過剰なまでのエゴイズムです。
自己の利益ばかりを優先した結果で、三代ごとに幸・不幸の興亡を繰り返します。
簡単に言えば、人間に欲望がある限り、祖父母・父母・本人、 または本人・子・孫と家系が繋がり、また興亡が起こるということです。
祖父母が幸=優勢な人生であれば、子孫には劣勢な人生が待ち構え、逆に祖父母が不幸=劣勢な人生であれば、子孫は優勢となります。
全ての家系はこの法則にのっとってつながっています。
これを『家三代の興亡』と呼びます。
家系を三代でくくると、栄えた後の二代は必ず劣勢を強いられるようになります。
幸福な代の次は、不遇で理不尽な不幸な代となるのです。
この流れのどこにいるのかを解く鍵が名前に潜んでいます。
MY マジックナンバー?!
さきほど「同じ親から生まれた兄弟・姉妹でも人生は異なる」と申し上げました。
それはなぜかを説明しましょう。
名前にはその人の全ての情報が刻まれています。
ですから、名前を読み解けば、その人の人格、性格、使命、人生総体はもちろん、 戸籍上にはない子供の数まで含んだ、真の「魂の出生順位」までもを明らかにすることができます。
出生順位とは、名前から長男長女相、次男次女相というように、 家の中でその人がどのポジションにいるのかを表しています。
例えば、戸籍上は長男なのに名前をみると三男相ということがあります。
この場合には、何らかの理由で戸籍にはのっていないが兄が二人いるとみます。
また、戸籍上の三女が長女相であった場合には、 長女と次女が淘汰されてその人が実質的な長女となることを明示しています。
出生順位について、もっと噛み砕いて説明しましょう。
ここに出生順位が三男相の男性がいたとします。この男性は三女相の女性と縁を生じ、夫婦となります。
つまり、同じ出生順位である男女が「赤い糸」の縁を生じるのです。
そして、この三男三女相の夫婦に三人の男の子が生まれたとします。
ここからが重要です。
血を分けた三人の兄弟で、人生の結果の違いが起こるのです。
人生の結果が幸、つまり優勢なのは父母の出生順位(席順)を遵守(位置)する、 同じ三男相の名前の子で、他の二人の子は劣勢となります。
くどいようですが、ここで言う出生順位は戸籍上の三男のことではありません。
あくまで真の出生順位です。
ですから、三男相の子は現世的には長男かもしれません。次男かもしれません。
いずれにせよ、名前に潜む出生順位がいかに大切であるということにつながります。
実際にどの子が三男相なのかを見抜くには名前を読み解くしかありません。
また、(樹門流でみる名前と手相と家相はすべて連動しているので)家の因縁を如実に物語る家相で観るという方法もあります。
樹門流占術にはしっかりした自然界の仕組みが(始祖樹門幸宰が発見した)法則性としてまとめられています。
ですから、タイトルである「同じ親から生まれた兄弟姉妹でも人生は違うのはなぜだろう」の答えとしては自然界の仕組みがそうさせているとなるわけです。
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二代目樹門幸宰
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