英雄色を好む
慣用句『英雄、色を好む』
ご存知の方もいらっしゃると思います。
意味を辞書で引くと、「英雄といわれる人は、すべてに精力的であるために女色を好む傾向も強い。」とあります。
さながら「英雄、色を好む」の内容を“地”で行く運勢があります。
その運勢の特徴を樹門流占い的に一言でいえば、「本物志向」という見解になります。
運勢は遺伝で伝わります。
遺伝とは髪の色、骨格などの肉体的な遺伝のことを指しますが、樹門流占術では精神的な遺伝の情報までも父母、さらには祖父母から遺伝していると考えています。
祖父母が、また父母が為しえなかった想いを子や孫に託すかのように、“精神的な遺伝”をもって子孫の性格、そして運勢を形成します。
これを霊的な意味ではない“魂(精神的な遺伝子)”、「先祖の記憶」と言い換えられます。
その記憶とは何れも、生きる上で不都合と感じた悲しみや怒り、後悔などのマイナスの感情の記憶が、結果的に子や孫に伝わるようになっています。マイナスだったものをプラスに、その想いが子や孫の遺伝子にまで刻まれ、頭脳性、使命、目的、性格、人生と子や孫の運勢を形成します。
タテ型(別称:A型)や斜め型(別称:B型)のように、遺伝した運勢を的確にとらえた運勢の器の名称のようなものを「運勢型」と呼びます。それはみなさんの姓と名の名前から判断することができます。
それは個性であり、その個性が引き起こす人生そのものの種類をあらわしています。
「運勢型」が違えば、使命や人生の目的、性質、人生、運勢はすべて異なります。
人は生きていく中で様々な経験をします。経験とは社会で、そして家庭で培うものです。
その人は全方位・全方向に対して好奇心が旺盛で、良い言い方をすればまずもって向上心があります。
そして常に本物志向があり、携わるすべてに対して本物を探すためにその様はバイタリティに溢れています。豊富な欲心が本物を見つけ出そうとします。
ですが、ある場面で本物を見つけ出した場合でも、時が過ぎればさらにもっと、質的にも精神的にも新たな“本物”を探そうとします。
つまりその運勢は「ここで終わり」がありません。
よって、仕事であれば常に「もっともっと」と質の高い仕事を四六時中模索します。
そのために取り掛かりの仕事を早く終えようとします。ですから仕事ができる評価を得られる可能性は高くなります。
その欲求が仕事や学業にむかっていれば、なんら法にすら触れることはありません。
厄介なのは異性に対する『本物志向』です。異性へのチャンネルが開通していれば、“本気”で浮気をしてしまいます。
ほんの出来心からとか、ちょっとした過ちとかいうフワフワした感覚ではなく、自分の血系をより優勢に繋ぐために、大真面目に倫理に触れた行為に及んでしまいます。
となると、結婚をしているのであれば、いたたまれないのはそのパートナーになります。
“政治家”伊藤博文
有名な話として、日本の初代総理大臣であった伊藤博文の絶倫ぶりはとても有名です。ですが、その前に彼の名誉のため、政治家としての後世の評価を説明いたします。
“政治家”伊藤博文は、幕末期に活躍した奇兵隊を率いた高杉晋作の性格の激烈さはありません。明治期になって彼が追従した維新三傑の大久保利通のように強権的な遂行力もありません。
伊藤の素質は本物を見抜く力と、人との調整能力、交渉力の高さ、人柄の良さです。
当時としては斬新的な考えをもっていましたが、それを相手と話し理解させ、同じ考えにもっていく力がありました。考えが違う相手の懐に入る、いわゆる男女問わず、人たらし(多くの人に好かれる人)の術を身に着けていたということです。
幕末期の高杉晋作の子分時代。長州の若きリーダー桂小五郎(木戸孝允)、そして明治初期には大久保利通という親分的な人たちに愛されることによって、政治の中枢に居座り続け、トップがいなくなると見事に実力“ナンバー1”の立場となり、農民出身ながら総理大臣になります。(ベースとなる運勢型は中一差型(I型)と中順序型(L型))
特に明治の初期は薩摩(鹿児島)や長州(山口)などの出身藩の派閥がしのぎを削り主導権を争う傾向がありましたが、政治状況を冷静に見極め派閥を超えて同調をみせます。理由は自分が思い描く理想の政治政体に向かう芯の太さがあったからです。
薩摩と長州が中心となって興った明治新政府の樹立直後は、その新政府はまだ明確な国家ビジョンは持ち合わせてはいませんでした。
伊藤博文は明治維新が始まる数年前に約半年ながらもイギリスに留学し、博物館などの文化施設、海軍施設、工場(経済)、鉄道など西洋文明を目の当たりにしたことにより、西洋の豊かさと並び立つためには西洋の文明を身に着ける必要があるという考えがありました。
よって、すでに明治初期の伊藤の意見書には、敵味方関係なく公論(国会のような想念)すべきという考え方と、現在に通じる中央集権的な国家をすでに構想しています。
しかし、明治維新直後のまだ藩が残っている現状ではその理想国家は時期尚早なことをわかっていましたが、折しも幕末に締結した不平等条約を改正のための海外使節団の話を持ちあがります。
これをチャンスと見た伊藤は、政府内有力者である大久保利通や木戸孝允を海外使節団に誘い同行させます。
伊藤の思惑は見事に的中し、大久保たちは外遊を経て国力の圧倒的な差に衝撃を受けます。日本を近代化させることの重要性を悟るのです。
西洋化と並ぶためには旧態依然の藩がそれぞれ力を持つ体制ではなく、中央の号令で動く中央集権国家こそ急務であると。石造りの近代建築、鉄道網、国民の力を結集する議会システム、いわゆる資本主義がもたらす国力に衝撃を受け、明治新政府が目指すべき政体を伊藤は大久保と共有にするにいたるのです。
国家ビジョンを理想し、仲間を増やすやり方や、周旋の見事さ、今でいうところの根回しが極めて得意な政治家と言えるでしょう。
また、明治政府は征韓論、西南戦争、明治14年の政変などで、転覆や瓦解(政府が倒されたり、組織がこわれてしまうこと)される危機が何度かありましたが、その裏に伊藤博文が活躍し調整して根回しして事なきを得ています。
そしていよいよ伊藤が理想国家を夢に見てから二十数年後、内閣制度の創立、国民が政治に参加できる国会(帝国議会)、憲法の発布(大日本帝国憲法)、政治政党の樹立と自ら思い描いた仕組みが実現します。これらも、伊藤がうまく立ち回り多くの人を巻き込んで実現させたものです。
“私人”伊藤博文
では本題にあたる“私人”伊藤博文について話します。先ほども申し上げましたが彼の女好きは有名です。政治家として優秀さはどことやらという解釈も出てきます。
首相になった後までも、女性を自宅に連れ込んでいた筋金入りの女性好きです。
それでも伊藤博文の正妻 梅子は一言も文句をいわなかったようです。
主に料亭で芸者遊びに勤しみましたが、夜の相手を、1日に一人だけではなく、時に二人もよぶことがあったといいます。
女性関係、連日の芸者遊びを隠さず派手に遊びまわるので、新聞などのマスメディアの格好の餌食になります。
伊藤のその行為が明治天皇の耳にも達し、「伊藤よ、慎め」といわれたらしいので開いた口がふさがりません。
伊藤博文には三角関係運(別名:26型)があります。
冒頭の「英雄、色を好む」を想定した運勢型は『三角関係運』というものでしたが、彼をして“その”行為、およびバイタリティを可能にさせたのはこの運勢です。
名前(姓名判断)というのは概論として潜在する要素を解くものですが、彼のような好色家になった例はその運勢が顕在化した証左となります。同時にこの運勢が政治家として仕事ができる要素にもつなげていることも間違いはないはずなのです。
では、
下記ステップ表から魂ゆら占いの『無料姓名判断』を使って自分の運勢型を把握しましょう。あなたにはどんな運勢が遺伝されているのでしょう!!
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