究極の仮説
人は、人生の幕を下ろすときに、いったいどのような思いに至るのでしょう。
私はまだ死んではいません…が、今日は究極に、二つの極端な仮説を用意しました。
一つは、人生の儚さを回顧する思考です。
それは最期に人生を振り返る生き方です。
人生を振り返って、「あれはよかった」「それは悪かった」「あの時こうすればよかった」など立ち止まって考える思考です。
そのように振り返る人は、どこか哲学的な思考を持ち、人に対する情けが深い人ではないかと思うのです。また自分に対する情けも深くあります。
要するに情が駆け巡るヒューマニズムがある人で、思考に遊びや幅がある世界観ではないかと推測します。
もう一つは徹底的なリアリストです。
全身全霊で何事にもぶつかる人です。
「前者」とは対照的に、人生の最期でも人生を振り返らない生き方です。
三次元の世界のみを生き抜きます。
もしくは、目標を定め、そのプロセスの中を徹底的に生きて、とことん追求する超現実主義者です。ある意味、余裕や妥協は存在しません。
生死の前では皆平等です。
これは私のような凡人も、そして巨万の富を築いた人、さらには偉人・貴賤に関係なく、人生の幕を下ろす時には、本質的な頭脳性は、究極には、上の二つに絞られるのではないかと考えるのです。
樹門流姓名判断のファンの方向けに言いますと、「前者」は斜め系(bタイプ)の世界で、「後者」はタテ系(aタイプ)の世界を想定しております。
前者の世界
「前者」の世界感のイメージを膨らませましょう。
その昔、ある貧しい若者が故郷を離れ、一旗あげようと旅に出ます。
途中の、ある“街”の食事処で老人に出会い、自分の貧しい状況と自らの夢について語りました。
すると老人は夢が叶うという枕を若者に授けます。
若者は早速その枕を使ってみます。
すると、みるみる出世し、嫁をもらい、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻したりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れをほしいままにします。
そして子どもや孫にも恵まれ、幸福な生活を送りましたが、年齢には勝てず、枕を手に入れてから50年の歳月の後に、多くの人々に惜しまれながら眠るように亡くなりました。
場面はそこで変わります。
気が付くと今そこにある風景は、“さきほど”老人に出会ったばかりであって、炊きかけた粥がまだ煮上がってさえいなかったのです。
実は、全ては夢であり束の間の出来事であったのです。
若者は枕元に居た老人に
「人生の栄枯盛衰の全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった。」
と丁寧に礼を言い、望みをかなえて故郷へ帰っていきました。
若者の名前は「盧生(ろせい)」。老人は道士(仙人)で名前は「呂翁(りょおう)」。
街の名は中国は、唐の邯鄲(かんたん)。
「邯鄲の夢」や「邯鄲夢の枕」の名で有名な中国の故事です。
人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られています。
「邯鄲の夢」の話を踏まえて、戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉の辞世の句をご存知でしょうか。
「露と消え 露と消えにしわが身かな 浪速(なにわ)のことも夢のまた夢」
さも夢の世界の中を駆け抜けたと言わんばかりです。日本の覇者となり天下統一を果たしたことがまるで夢の世界の出来事だったと言うのです。
先人の中には、「前者」のような感情に襲われる人がいるはずです。秀吉の“それ”は、感覚的には「邯鄲の夢」と似ていると思うのです。
後者の世界
今度は「邯鄲の夢」の儚さとは対照的に、現実社会だけをとらえるリアリストもいます。
東急グループを一代で築き上げた五島慶太氏(享年77)です。
最期の言葉は、「全財産をやるから寿命をくれ。オレにはやらねばならぬ事業が、まだまだ、たくさんあるんだ」といわれています。
(※週刊ポスト2019年11月8・15日号抜粋)
五島氏は「すべての事業は沿線住民の生活向上のため」と強調し、当時「片田舎」といわれていた渋谷を、現在の繁栄に導いたことでも事績は歴然としています。
ターミナル駅にはデパートをはじめ商業施設、郊外に宅地やリゾート施設という“鉄道経営の鉄則”を実証しました。
高級住宅街として有名な東京・田園調布は、大正末期に広大な土地に鉄道を走らせ、都心と郊外をつなげます。
これにより欧州で提唱された田園都市建設、庭園都市構想が東京で実現します。
知識階級の労働者が、都会で働き郊外の自宅で快適に暮らす斬新なライフスタイルが誕生します。
彼の最期の言葉にリアリストの神髄が見えます。
そして、もう一人。
先の五島慶太氏の東急のビジネスモデルは、阪急グループの創始者小林一三氏の経営モデルを手本としていたのは有名な話です。
なお、小林一三氏は阪急電鉄、東宝、宝塚歌劇団をつくった人物です。ちなみに元プロテニスの松岡修造氏は小林氏の曽孫にあたります。
東宝の忘年会で挨拶した小林一三氏の言葉が残されています。
「これからの日本は…素晴らしい国になるという結論を持っている。
ただ、そうなるには、一つ条件があるんです。
それは、皆さんが全員働く事です。
働くというのは、本来とても楽しいことなんです。
夢を描いて、智恵を絞る、努力をする…その果てに笑ってくれる人がいる、
その対価として報酬が付いてくる。
これが実に楽しい。自分の人生がここにあると感じる事が出来る。」
あわせて、「努力は絶対に報われなければなりません。」という言葉も残しており、彼の堅実性と世界観が垣間見れる内容です。
もちろんこれだけでは現実主義者と推し量ることはできないかもしれません。
しかし、多くの小林氏の名言をみるに、常に現実世界の生き方、喜び方を考えられていた方だとお見受けができるのです。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。」
「社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。」
「出世の道は信用を得ることである」
以上の抜粋した名言をもって、小林氏も「後者」のリアリストに属していると感じることはできないでしょうか。
もちろん根拠は樹門流姓名判断の中にあります。
二人とも名前にある運勢(※)がタテ系(aタイプ)だからです。(秀吉は斜め系:bタイプ)
樹門流占いではその人の頭脳は性格となり、その性格が人生となり、その人生模様を運勢と呼びますが、その運勢は遺伝で成っていると考えています。
一般的に遺伝とは、髪の色、骨格などの肉体的な遺伝のことを指します。
ですが、この占いでは精神的な遺伝、すなわち感情の遺伝子に含まれる情報は父母、さらには祖父母が生き残りをかけて伝えた魂、つまりは、“精神的な遺伝”の遺伝であるとしています。祖父母が、また父母が為しえなかった想いを子や孫に託すかのように、“魂”をもって子孫の性格、そして運勢を形成します。いわばそれは「先祖の記憶」とも言い換えられます。
その記憶とは何れも、生きる上で不都合と感じた悲しみや怒り、後悔などのマイナスの感情の記憶が、結果的に子や孫に伝わるようになっています。
マイナスだったものをプラスに、その想いが子や孫の遺伝子にまで刻まれ、頭脳性、使命、目的、性格、人生と子や孫の運勢を形成します。
また、タテ系は科学合理の思考で白黒をはっきりつける頭脳、勝者を狙うことを人生の使命とします。一方、斜め系は感性が豊かで直観が優れる頭脳性、誰からも愛されることを人生の使命とします。
そういえば、歌舞伎などによくみられる襲名名はほとんどが、「後者」の世界観であるタテ系(aタイプ)で占められています。
それは三次元の世界を突き詰めてつきつめて生きることを追求するようになっているのです。
ちなみに〇〇型斜め系、〇〇型ヨコ系、〇〇型表十字系は前者の斜め系の世界に属すと考えてください。
〇〇型タテ系、オール同数型、〇〇型上下系、後者のタテ系の世界に属すとしてください。
あなたはどっちでしょう!?
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