姓名判断の魂ゆら占い

樹門流占い×運動神経が良い人は運勢がよい?!

二代目樹門幸宰

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運動神経が良い=良い人生?

樹門流占い×運動神経が良い人は運勢がよい?!1
樹門流占い師の二代目樹門幸宰です。
「運動神経が良い人は良い人生を送り、反対に運動神経が悪い人は良い人生を送れない。」
とする世界ならば、あまりにも生きることが過酷になる人も出てきます。

「運動神経が良い=運勢が良い」は究極の話でありますが、ただ運動神経が良ければ少なからず、人生の中のどこかで得をするであろうと、ほとんどの人が感じられるかと思います。
 学生時代に足の速い人は目立ちました。ヒーローでした。
当時の運動会の足の速い人のリレー競技を見るにあたって、今思えば、圧倒的な優勢感にたいする、羨ましさや尊敬に近い感情を抱いていたような気がします。

では実際に樹門流占いの立場から、運動神経の良し悪しは、その後の人生において、プラスやマイナスを含めて、多大な影響を与える大きな要素があるのでしょうか。
運動神経と人生傾向である運勢とは、どの程度のつながりがあるのかを検証してみることにしましょう。

運動神経と運勢のつながり

この占いの見地から、運動神経と占いの因果関係は運勢に直結する傾向があるはずです。ただ運動神経の良さが運勢にとって良いとは限らないことは最初に明言します。

これらを話す上で、まず運勢の良さの基準を説明しなければいけません。
樹門流占いではしっかりと定義をしております。
「“健康運”があること。次にご飯を毎日食べられる“経済運”があること。親子、夫婦、子らとの“愛情運”に恵まれること。」
これら三つがバランス性と継続性にある名前を良い運勢と呼んでいます。

「健康、経済、愛情」
そこにゆがみや過不足があると、たちまちに良い運勢とは呼べなくなります。

これを踏まえて本題の運勢神経の話に戻ります。
そもそも運動神経は遺伝性が大きいとよく言われますが、一般的に考えられる遺伝性とは、肉体的な遺伝のことで、特に外形として受け継ぐ骨格や身長・体格だと思われます。
下の参考URLの中を参照しますと、遺伝的要因は、生まれつき備わっている性質や傾向という意味で「先天的」、環境的要因は、生まれた後で身についた性質や傾向という意味で「後天的」とあります。
運動能力を規定する要因の66%が遺伝的要因で先天的。残りの34%がトレーニングなどの環境的要因、後天的な影響を受けていることと書かれています。
つまり、生まれた時に授かった遺伝の先天的要素と、誕生後に培う、人生で偶発的に経験する後天的な要素の組み合わせによって、運動神経は形成されているという内容かと思います。

参考:「親から子へ、運動能力の遺伝率はどの程度あるのか/女は筋肉 男は脂肪」
https://athleterecipe.com/column/45/articles/202112170000599
「運動能力の66%は遺伝で決まる」
https://goodhealth.juntendo.ac.jp/sports/000034.html

ところが樹門流占術にて考える運勢の概念は、運動能力の遺伝的要因と環境的要因の両方が、運勢にきっちりと含まれているとします。
親からもらった肉体的な遺伝要素の開花と、生まれた後に得る環境的要因、その目的に向かう努力の仕方までものすべてが、その人の運勢に包括されていると考えるのです。

ここで運勢について、よくよく説明をしなければいけないと思います。
(樹門流ブログのよくご覧になられている読者でご存知の方は、「運勢とは」を読み飛ばしていただいて結構です。)

運勢とは?

運勢は“遺伝”で伝わります。
通常、遺伝とは髪の色、骨格などの肉体的な遺伝のことを指しますが、樹門流占術では精神的な遺伝の情報までも、父母、さらには祖父母から遺伝していると考えています。
祖父母が、または父母が為しえなかった想いを子や孫に託すかのように、“精神的な遺伝”をもって子孫の性格、そして運勢を形成します。
これを霊的な意味ではない“魂(精神的な遺伝子)”、「先祖の記憶」と言い換えられます。
その記憶とは何れも、生きる上で不都合と感じた悲しみや怒り、後悔などのマイナスの感情の記憶が、結果的に子や孫に伝わるようになっています。マイナスだったものをプラスに、その想いが子や孫の遺伝子にまで刻まれ、頭脳性、使命、目的、性格、人生と子や孫の運勢を形成します。

極端な説明をします。
樹門流占いにて、運勢的に超有能で天下を盗れる人生の結果があったとしましょう。あえて二つの能力を想定してみます。

  • 一つは頭脳明晰で、頭の良さから、自身の能力で天下を盗れる人生。
  • 一つは運動神経抜群さゆえに、スポーツ界で天下を盗れた人生。
  • (ほかにも音楽の才能や絵の才能などいろいろあると思います。)

ただし頭が良くても、コミュニケーションなどが不得意であれば天下はとれません。そして運動神経がよくても、飽きっぽい性格で精神的な持久力がなければ難しいはずです。天下を盗れる人生を送るためには、付随しなければいけない性質要素がやまほどあって、それが天下盗りの狭き門に仕立てているかと思います。

後者の類まれな運動能力を授かり、かつ、天下を獲れる人生ならば、その直接的な要因は肉体性遺伝のはずです。遺伝の仕組みとして、そこに向かわせるのは運勢的に天下を盗らせるために運動神経をよくさせているのかもしれません。(厳密にいえば、父か母の運動神経の良いトコ取りの遺伝情報を授かっているのかもしれません。)
しかし、もしも反対に天下を盗れない人生が待っているとしたら、その人生に向かうために運動神経が良いという、実は運勢が味方してくれないような皮肉な人生があるのも事実となります。

樹門流の“運勢”の話を掘り下げます。
祖父母が「負けた」という感情を強く持ち、今度は何がなんでも勝ちたいという想いに支配されると、その精神的な想いは物質的な遺伝子に刻まれて、子、孫へまで到達します。すると特にその孫は勝つことを「使命」として持ち、勝つためには合理的頭脳、合理的な思考をもって、勝つために自分の目的を果たすための手段をも効率化を求めるようになります。
さらに、勝つためには努力すらも出し惜しみをしない勝気で強い性格にもなります。

それから、その負けず嫌いな性格を持つ人が「頭脳明晰で自身の能力で天下を取れる人生」であるならば、頭脳明晰を鍛え上げるために苦節忍耐をもいとわない強い精神力で努力して、もっともっと頭脳を鍛え上げて天下を盗れる道へと進むかもしれません。

くわえて、その性格を持つ人がもう一方の「運動神経抜群ゆえのスポーツ界で天下を取れる人生」であるならば、同じく強い精神力をもって、周りの人が寝ている中でも何十年も努力を重ねてその道のスペシャリストとして、世界の頂点に立つ日がくるかもしれません。

要するに、運勢の元となる精神的遺伝子の中には、肉体的遺伝要因も環境的要因も含まれているとするのが樹門流占いとなります。(実際には肉体的遺伝子と精神的遺伝子の二系統が遺伝され、次第には肉体的遺伝の内容すらも、精神的遺伝子、すわなち運勢へと包括されていくという話です。)
運勢は当然にその人の名前にあるわけですから、名前を樹門流姓名判断すれば、『運勢』がどの性格なのかはもちろん、天下を盗れるような要素も大切ですが、その人生が健康、経済、愛情のバランスと継続性の観点から“幸せ”な名前かどうかがもっと大切なことになります。

運動神経、良し悪し物語

樹門流占い×運動神経が良い人は運勢がよい?!2
これまで話してきた内容を別の角度で、陸上競技を例にしてみます。
短距離走と長距離走の違いは、短距離走は100M、200M、400M走で、必要なのは高い瞬発力と高い疾走技術です。一方、5,000M以上を走る長距離走は持久力スタミナの保持と技術が必要です。
そしてその短距離走と長距離走のすべてにおいてはおそらく、努力するタフな精神的な持久力が必要となります。

その努力において役に立つのが『運勢』の出番です。
その運勢次第では、その世界での頂点を極めることも、なにもかも諦めることも、そしてそれが運勢の優劣を導くことになります。
次に運動神経の良し悪しで、六つの異なるシチュエーションを考えてみましたのでご覧ください。

運動神経が良いケース1

小学校の時から運動神経がよく、小学校高学年、中学生の時に足が早くなり、100M走ではジュニア大会で全国3位に入賞。高校へはスポーツ推薦入学、大学へと進み、一時は挫折もありましたが、新卒で中学校の体育教師となり、以来数十年に渡り、教員生活。昨年より校長となりました。

運動神経が良いケース2

幼少期よりスポーツ教室に通い、小中高と全国大会で何度も入賞して得意の絶頂を経験することができました。しかし、大学で選手生命を絶たれるケガを追い、引退を余儀なくされ、絶望を味わいました。残りの大学生活の中で精神的に仲間に助けられ、気持ちを切り替え、就職活動の結果、総合商社に入社。海外と日本の往復する日々忙しい毎日を送っています。定年まで残り僅かとなりました。

運動神経が良いケース3

中学から始めた柔道で努力し、高校では全国大会で優勝。大学の時には夢の舞台、オリンピックにも出場して入賞を果たしました。社会人となってから二回目となるオリンピックにてメダルを獲得。現役引退後は出身大学の柔道コーチとして後進の指導にあたり、長いコーチ生活の中で、数名のオリンピアンを育てることができました。

運動神経が悪いケース1

運動神経が良くないことは自覚しており、スポーツは程々にして、基本的には勉学を中心の学生時代を送りました。その甲斐あってか、最難関の大学に進学し、霞が関に就職できました。勉学で培った何事も諦めずに努力するということは私の武器であり、粘り強いのが最大のとりえだと思います。

運動神経が悪いケース2

運動神経が悪い事は自覚しておりました。ただスポーツは好きであり、球技ではなく、精神系のタフさを求める弓道にスポーツの道を求めました。おかげさまで高校時代に国体に出場、個人戦にてベスト16に入ることができました。その後は警察官となり、培った集中力は今も役に立っています。現在は警視長にて現職であります。

運動神経が悪いケース3

運動神経は中途半端、学力も中途半端。飽きっぽい私は学生時代に勉強ができるでもない、運動神経もよくもない劣等感を常に抱えたまま、大人になったような気がします。その成果かいざ知らず、何を武器に戦えばよいかを常に自分と向き合い、弱者側に寄り添ったNGO団体に所属しております。生きる上ではギリギリですが充実感は誰にも負けていないと思います。

運動神経、良し悪しのまとめ

樹門流占い×運動神経が良い人は運勢がよい?!3
樹門流占いが良しとする運勢は、『健康・経済・愛情』の三点のバランス性の良さと継続性があることです。それらを持つ名前を良しとしています。
お気付きの方もいらっしゃったかと思いますが、上にあげた「運動神経、良し悪し物語」のケースは「健康」は普通であることを前提とした上で、運動神経の良し悪しにプラス、経済状況に視点を置いたようなシチュエーションをイメージいたしました。

実はここに三つ目の『愛情』が加わることによって、その人の運勢(人生模様)が評価の実体をあらわすようになります。

もし「運動神経が悪いケース」に、バランスと継続性がある『愛情』運の良さが加わったら、それは幸せな人生にも多いになりうるわけですし、反対に「運動神経が良いケース」にて「愛情」が恵まれない場合は不遇の人生と感じる人も出てくると思います。
要するに運勢とはバランスであります。
運動神経の良し悪しとは、人生を総合評価にするにあたっては、スパイス的な要素に過ぎないという見方もできるわけです。

私の運動神経は並で、俗的な言い方では「中」の「下」といったところでしょうか。もしも私の運動神経が抜群に良かったら、人生は変わっていて、間違いなく出会う人も違うはずでしょう。でも実際には良くないわけですから、その仮定は脳内の余興にすぎません。
ただ名前=運勢とは面白いようにできていて、運勢が良ければ、たとえ運動神経が悪かろうが、それを“提示”しなくても上手いこと人生が展開されるようになっています。
反対に運勢が悪ければ、運動神経が良くても、それが仇(あだ)になったり、プライドの高い性格ゆえの挫折感から打ちひしがれたり、ネガティブな心理にさいなまれることもあるでしょう。

俯瞰してみれば、運勢(=名前)がよければ運動神経がよかろうがわるかろうが、幸せな人生を送れるようになっているということになります。


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