長命
現在の平均寿命は、男性が約80歳、女性は87歳。
1960年代では男性が65歳で、女性は70歳ですから医学の向上は目覚しいものです。
生きる中で長いこと病を患う方がいれば、健康のまま生きられる方もいらっしゃいます。
長命な人がいれば、残念ながら短命な人もいます。
短命の人が思うのは、きっと世の中は不平等だと考えてもおかしくはありません。
心が健全で、誰もが正直な気持ちは“死にたくない”はずです。
寿命の定義
この占術では、寿命は自然死のみを含みません。まずは寿命の定義をいたします。
- 天寿を全うする
- 病気で亡くなる
- 事故で亡くなる
すべてがその人自身が持つ寿命です。
乱暴な言い方ですが、生活を摂生して、どんなに健康維持に努めようとも、どんなに不摂生でも100%いつかは死にします。
- 「両親があなたより長生き」
- 「あなたが両親より長生き」
この差はとても大きいものです。
例えば、あなたが男性で父親より長生きであれば、寿命的観点からすればあなたは『家三代の興亡』の初代運の可能性があります。
『家三代の興亡』とは、栄えた家は三代のちには没落し、没落の三代を経て再び興隆します。一方では没落にとどまらず、滅びてしまうケースもあります。その繁栄させる基礎を最初に築く繁栄代の最初の代が初代運です。
短命
あなたの両親や祖父母が短命なら、その子や縁者の運勢が密接に関わっていきます。「親が短命で、私は幼少から苦労した」ということは、その苦労した初代運の男性が培う能力や出会う人、人生すべてには初代運となる運勢が予定付けられているからです。
当然ながら心情として、子は親に長生きをしてもらいたい。
しかし、事実はとても残酷で父もしくは母が幼少からいない子、両親がいない子もいます。
苦労した子どもがそこで何を得るのか、何かを得たのであれば、その何かを獲得する原因の一つが両親の早世にあることは可能性としては捨てきれません。
家康と初代運
江戸幕府を創設した徳川家康は、この占術でみると初代運です。
弱小大名の子に生まれ、幼少期に実父(祖父も)が彼らの20代で暗殺され、家康はわずか5、6歳で父が居なくなってしまいます。
織田家や今川家に人質生活を余儀なくなれ、18歳前後でやっと大名として独立を果たし、信長に従属的な同盟を強いられながらも20年もの間、臣下のような位置関係を強いられます。信長が本能寺で居なくなると今度は新たに台頭してきた秀吉の配下に甘んじなければいけませんでした。そして秀吉亡き後、関が原の戦いで天下盗りに勝負に出た時には58歳になっていました。
そのように苦渋を強いられ続けられなければ、家康の天下はありえなかったと思います。
また家康の“命”の長さも天下統一を実現させているはずなのです。天下の総仕上げというべき宿敵豊臣家を滅亡に追い込む大阪の陣は、家康が74歳の時です。
運勢の中に含まれている寿命は、すべて遺伝によってタイムスケジュール化されているという話です。
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家康の幼名は、有名な「松平竹千代」徳川家の後継とおぼしき子には代々「竹千代」の名がつけられました。
さてこの「松平竹千代」を魂ゆら姓名判断で見てみると、あまりに過酷な運命で、とても長生きできるようには、素人の私からは見えません。確かに家康の墓は、非公認の墓が、岡崎や大阪など複数存在しています。
実際家康の時代には影武者がいたこと、家康自身が「私は本物でなく、買われてきた者だ」と口を滑らせたと、史実に残っています。これらの事実を総合すると、晩年の家康は、どうやら甲賀の流れ者の子であったことがわかります。
すでに問題は、いつ本物が入れ替わったかに、絞られています。1つの大きな機会は、大阪の陣だといわれています。
いずれにせよ、徳川の後継者つまり、松平竹千代の名を負わされるものは、非常な苦労を負わされる
運命にあったと思われます。それを乗り越えて初めて宗家の長となることができたのです。